思った事。

「共有」というものがそもそも分からなくて、

疲れをため込んで待ち合わせ場所に行って、

待ち合わせた時には笑う余裕もなくて、

せめて会話だけはしようにも続ける気力もなくて、

でも会った瞬間から本当は自分の中に積み込んだ疲労は、

知らない内に一つずつゆっくり下ろされていってて、

気力が無いのは血の巡りがじんわり良くなって、

ひりひりした痛みがようやく巡るからで、

別れ際になってようやく気持が軽くなって、

笑顔で見送りができる、って事で。


下ろされた荷物は背負わせてしまったかもしれないし、

上手に自然分解してくれたのかもしれないし、

いつかその内同じように、

荷下ろしの手伝いができればなぁ、と

でもその前に、

自分の荷物を詰め込み過ぎないようになること、

心配されないために一番必要なことだと、

ぼんやり考えながら、鼻唄を。